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1. 喧嘩の理由も見えないほど夫婦仲が冷え切っていた
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2. 離婚後、仕事をするとお金が出ていった理由
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3. まずは自分自身から変えてみる
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4. 信頼できる専門家との出会いで負担が軽くなった
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5. 娘に何百回と伝えた、父母としてのメッセージ
1. 喧嘩の理由も見えないほど夫婦仲が冷え切っていた
――2012年に離婚された際の経緯と心境について教えてください。
離婚した理由は、一言で言えば「価値観の違い」です。相手方の意見を聞かないと本当のところはわからないものですが、揉めごとや喧嘩(けんか)が多くなり、もはや何の理由でいま喧嘩をしているのかもよくわからないぐらいに関係性が冷えていたことが最大の要因でした。
喧嘩する度に「離婚しようか」と口にしていた時期はありますが、本当に離婚したいと思っていたかというと、実はそんなことはなかったんです。
でも、生活を続けていくうちに「もうこれ以上、同じ家にいない方がいいのでは」と考え始め、いざ別居をしてみたらお互い楽だった 、というのが正直なところです。
一番の変化は精神的な負担が減ったこと。私としては元に戻ることを期待していましたが、彼が離婚を希望しました。それに抗う選択肢もありましたが、離婚しない方がいい理由は社会的な立場を気にしたというだけでした。いま一度自分の本心を見つめたところ、「離れて生活した方がいいだろう」と思うに至り、時期を決めて離婚することになったのです。
2. 離婚後、仕事をするとお金が出ていった理由
――離婚の際、最も不安だったことは何でしたか?
当時2歳だった娘のことですね。離婚したら、元夫が父親として関わりを持たなくなるのではと思いました。10年前の情報ですが、父親の方に新しい彼女ができたり再婚したりすると元妻の子どもには会いに来なくなるケースが多く、それが最も子どもを傷つける、ということを聞いたことがあったんです。
そのため、離婚時に弁護士に唯一お願いしたのは、「20歳までは娘の意思が変わらない限り、1週間に1回父親に会い続ける」という内容の契約をしたいということ 。そして、弁護士と元夫との三者間でその取り決めをしてもらいました。
――離婚後はワンオペ育児をしながら仕事をされていましたが、何が最も大変だったと感じますか?
常に睡眠不足で、肉体的疲労がひどかったことです。娘は眠りが浅く、当時まとまって3時間以上寝られたことはほとんどありませんでした。それにもかかわらず、娘が寝た後は当時流行っていたスマホのゲームに没頭し、課金して夜な夜なプレーをしてしまう時期もありました。いま考えると、ストレスを発散していたのでしょうね。
私の父は既に他界し、母は病気を患い、義理の両親も子育ての面で手伝ってもらえる状態ではありませんでした。頼ったのは自治体の人やサービスをはじめ、民間のシッター、保育所、ママ友たち。例えば、娘の幼稚園が午前中で終わった後は保育所の人に迎えに来てもらって保育所で過ごし、その後はシッターさんに迎えに来てもらって自宅で面倒を見てもらう、といった綱渡り的な感覚の毎日でした。
周りにはすごく助けられましたが、どなたにも「本当は大変なんです」と言ったことはありません。外では元気でいることを常に心がけていました。元気なふりをしていないと、倒れそうだったんです。1日の収入よりもシッター代が高くなってしまう時期もあり、心の中では「お金がなくなるー」と叫びながら貯金を切り崩してやり過ごしていました。
3. まずは自分自身から変えてみる
――離婚後、パニック障害と診断されたそうですね。
最初は何となく体の調子が悪く、「今日はそういう日だろう」と思っているくらいでしたが、徐々に息がしづらくなったり、実際に倒れてしまったりしたことがありました。心配になって脳や心臓などの検査をしたのですが、幸い特に異常はなく。ただ、病院にかかっても一向に良くならなかったので、だいぶ時間が経ってから心療内科に行ったとき、そこで初めてパニック障害と診断されました。
「今日は助かりました、ありがとう」と伝えたり、申し訳なかったという気持ちも織り込むようにしたりして、自分が被害者だという意識を完全になくす努力をしました 。
その結果、冷え切った関係性が徐々に改善していったような感じがします。結婚時はできていなかったのに、このとき初めて通じ合った何かがあったと感じた ほどです。「もしかしたら、結婚しているときもこうした心持ちでいれば結果は違っていたかもしれない」と思うこともありました。
――「生き方を変えよう」と思ってから、すぐに変えられましたか?
「この日から変えよう」と決めて、即実行しました。当時、自分がパニック障害になり、肺がんの疑いも出てきている中で母も悪性リンパ腫になるなど、とにかく八方塞がりで何もかもがうまくいかない状況でした。何かを変えないといけないと強く思い、自分を180度変えようと思い行動を起こしました。
それから7年ほど経ちますが、被害者意識をなくすことはだいぶ染み付いてきて、「自分のもの」になってきた気がします。でも、余裕がなくなるとこれまでの自分に戻る傾向があります。私はおそらく、被害者意識を持ちやすい癖があるんでしょうね。それをしっかりと自覚し、事あるごとに「そうなっていないだろうか」と自分を正すことができるようになってきたと自負しています。

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4. 信頼できる専門家との出会いで負担が軽くなった
――離婚後、娘さんは元パートナーの方と週に1回のペースで面会されているとのことですが、娘さんが15歳になったいまはいかがですか?
いまも変わらず、娘は基本的に週に1回、元夫の家に行っています。ただ、娘が希望する日に面会をする形になっていて、例えばテスト前は行かなかったり、私が地方での仕事が数日入ったときは彼のところで過ごしたりするなど、その時々で調整しています。
面会交流を続ける男性(元夫)はそう多くはないと聞く中、彼は子どもに愛情を持って接してくれるので助かっています。こういう関係性になれたのは、お互いの努力があったからだと思います。ここでは言えない話はたくさんありますが、努力をして人間関係を改善させられるよう見直しています。
ネット上で「ちゃんと子どもは育ててください」と書かれることも多くありました。そうした他者からの意見は受け流しながら、弁護士をはじめとした冷静な専門家の意見に頼ったことは大きかったと感じています。
――専門家に頼んでよかったと思うことはどんなことでしょうか。
離婚するときは弁護士にお世話になったのですが、お互い感情的になりがちなとき、非常に冷静に交渉など物事を進めてくれたのがとてもありがたかったです。私は信頼できる人に弁護士の先生を紹介してもらいましたが、いまの時代、初回は無料や30分5000円くらいで弁護士が相談に乗ってくれますよね。
弁護士といっても十人十色なので、自分に合う人、特に「何を大事にする人か」などの価値観や相性を見極めることが重要 だと思います。私はいまも、信頼できる弁護士、医師、税理士とすぐに連絡が取れる距離にいます。
5. 娘に何百回と伝えた、父母としてのメッセージ
――思春期真っ盛りの娘さんは、ご両親をどう思っていると感じていますか。
母親も父親も自分のことをとても大事にしてくれていることは、しっかり伝わっていると思います。元夫は娘思いの人なので、その点は非常に助けになっていると思いますね。教育方針に関しては、基本的に私の方針が軸となっています。「夜は〇〇時までに寝かせてね」「〇〇については少し改善してもらえないか」など、元夫と子どもについての話はLINEでやり取りをしています。
振り返ると、娘が幼稚園で年少クラスになったとき、「他の家に行くとお父さんがいるけど、なんでうちにはいないの?」と聞かれるようになりました。その際、「 パパとママは一緒に住むと喧嘩してしまうから離れて暮らしているけれども、私たちはあなたのことをとても大事に思っているのよ」というやり取りを何百回と繰り返しました ね。
――離婚の形は様々ですが、いま悩んでいる人に伝えたいメッセージを教えてください。
自分が離婚した立場としてのアドバイスとしてではないのですが、自分が離婚した親を持つ子ども目線としてのアドバイスはあります。
私が高校生のときに両親は離婚し、それ以降は母と暮らしていました。その間、何となく母の前では父の話ができなかったことが、私にとっては負担だったんです。それと同じ気持ちを娘には味わせないように、ということだけ心がけています。
離婚は本当に大変なことなので、夫として一度縁のあった人と、もう1回努力してみるのも一つの選択肢だと思います。ケースバイケースですが、まずは自分が変わることで相手も変わる可能性もある のでは、と思います。
私の両親も、私自身も離婚しているので、娘もそうならないだろうかと心配する気持ちは正直あります。もし因果というものがあるとしたら、それを断ちたいと思っています。娘には幸せになってもらいたいですし、一度結婚したらずっと仲良く暮らしてくれた方が親としてはうれしいですが、いろいろありますから。何があっても味方でいようと思います。
でも、「結婚=幸せ」、「離婚=不幸せ」ではありません 。最終的には娘の人生ですから、娘の気持ちを尊重したいと思っています。
●青木さやか(あおき・さやか)さんのプロフィール
1973年、愛知県生まれ。「どこ見てんのよ!!」というセリフでタレント・お笑い芸人としてブレイクし、バラエティー番組で活躍。俳優としても活動の幅を広げ、2024年はフジテレビ系新火9ドラマ『オクラ~迷宮入り事件捜査~』に主婦刑事役で出演。ほか、全国公開の映画『他人は地獄だ』(2024年)などに出演多数。著書に「話せば、うまくいく。50代からの人生を機嫌よく生きるヒント」(時事通信社)、「50歳。はじまりの音しか聞こえない 青木さやかの『反省道』」(世界文化社)など。
(記事は2024年12月1日時点の情報に基づいています)